The History of The Lord's Recovery


新約聖書にある完全な啓示

 主の回復とは真理の回復です。それは聖書の中にありながら、次第に失われてしまったものです。わたしたちはみな新約聖書がこの時代における主の完全な啓示であることを知っています。その中には、神の新約エコノミーと新約における神のご計画の両方が十分に記録されています。その期間は、バプテスマのヨハネが来た時から新エルサレムの出現までを網羅します。
 この期間の始まりに、主イエスが来られて、神のために働かれたという記録があります。彼は人の生活のすべての苦難を経過されました。その後、彼はすべてを含む死を成し遂げ、すべての消極的なもの、人、出来事を対処するために、十字架上で釘づけられました。それに続いて、彼は死から出て来て、復活の中へと入られました。復活の中で、彼は天に昇り、栄光と誉れを受けられました。彼はまた、神のために支配するため御座に着かれました。最終的に、彼は神によって高く上げられた支配者、また救い主となられました。そして彼はすべての信者の上に聖霊を注ぎ、福音を宣べ伝え、罪人を救うために力と権威とを与えました。さらに彼は教会の建造のために賜物を与えられました。これらの賜物とは、彼ご自身が成就した使徒たちであって、彼らは救われた罪人を共に集め、さまざまな地方で彼らを教会として建造しました。わたしたちがすべてのさまざまな教会を共に加える時、そこにキリストのからだ全体があります。
 このからだがキリストの豊富を享受する時、それがキリストの豊満となるということをも、わたしたちはすでに見ました。この豊満とはキリストの表現のことですが、キリストもまた三一の神の表現です。ですから、教会はキリストの表現であるだけでなく、究極的には、三一の神の表現ということにもなります。このからだの豊満とその表現は徐々に建て上げられていきます。そして、それはキリストのからだとして次第に成長していき、キリストの豊満の身の丈の度量にまで到達します。
 その時、キリストは再びやって来られ、千年王国を設立されます。そこで彼は、一方で勝利の聖徒たちに褒賞を与え、他方で、救われたけれども敗北したクリスチャンを懲らしめます。それに加え、彼はユダヤ人たちと地上の異邦人たちの間にいるレムナントを成就されます。これらの事柄がすべて完成された後、千年王国は終わります。するとこれに続いて、新しい天と新しい地とが到来し、新エルサレムが天から出て、神から下ってきます。それは成就された聖徒たちと成就されたユダヤ人とから成っています。この新エルサレムとは、簡単に言って、王職と祭司職です。新エルサレムにいる者はみな、王たちと祭司たちです。一方で彼らは神に仕え、他方で彼らは神のために統治します。成就された異邦人たちは、新エルサレムの周りにいる新しい地の市民となります。これが新天新地における永遠の状況です。この状況の中で、手順を経られた三一の神が永遠に表現されます。これが新約の完全な啓示です。

歴代の真理の回復

 主がわたしたちに与えられたこれらの真理は新約聖書の中にありますが、使徒たちの時代が終わるころまでに、それらは次第に失われていきました。これらの真理が失われていった理由は、教会が堕落していったからです。こういうわけで、啓示録(黙示録)第2章と第3章において、主イエスは勝利者を召されました。一方で、これらの勝利者は勝利の生活を生き、他方で、彼らは失われた真理を回復しました。この勝利することと回復とは、一世紀の終わり、すなわち使徒たちがなくなる前でさえ始まりました。
 一人の有名な教会の歴史家が、英国ブラザレンの間で興されました。彼の名はE・H・ブロードベントと言い、彼は「ピルグリム・チャーチThe Pilgrim Church」という本を書きました。その本の際立った特徴は、歴代の勝利者たちによる真理の種々の項目の回復を記録したものです。それは使徒時代の始まりから、十九世紀末までの期間のものを包含します。この記録には、よく知られた十六世紀の勝利者、マルチン・ルターも含まれています。彼は、信仰による義認に関する真理を回復しました。十七世紀までに、カトリックの間で内なる命を追い求めた奥義派が興されました。彼らは、当時の死んだ状況、冷たくなった状況に反対しました。このグループの主要な人物は、ガイオン夫人です。これらの人々は命の経験の面で非常に優れていましたが、教会に関してはあまりはっきりしていませんでした。
 これに続いて、わたしたちは十八世紀にやって来ます。主はヨーロッパで、ジンゼンドルフ兄弟を興されました。彼は真理に関して、また教会の実行に関して比較的はっきりしていましたが、やはり究極的な目標には到達しませんでした。もう一世紀の後、十九世紀に、主は英国に兄弟たちの一群れを興されました。その中にはJ・N・ダービーや、そのほか彼と同年代の偉大な教士たちが多くいました。彼らは、教会に関する真理を相当回復しました。特に彼らは聖書からビジョン、型、預言を開きました。これらすべては重要な回復です。ブラザレンは、主によって、啓示録第3章のヒラデルヒアに在る教会として予表されています。

わたしたちの間での主の回復

 ブラザレンが興されてから20年か30年が経過した後、彼らの間に堕落が始まり、分裂も起こり始めました。この堕落は今日まで続いています。二十世紀の初めごろ、主はそれ以上彼の回復を西洋で進めることができなくなりました。彼はやむなく中国に向かわれました。そこで主は、わたしたちの間で真理を解き放す先導者となる人を見つけました。これが多くの人に知られているウオッチマン・ニー兄弟です。彼は17歳の時に救われました。そして22歳で、彼は主のために語り始めました。その年の間に、彼の故郷の福州で、極東における主の回復の最初の集会が興されました。

歴代の豊富の収集

 ニー兄弟は、英語の良い教育を受けました。また彼は多くの書物を読みました。救われた後、主を愛して聖書を追求しただけでなく、彼はよく西洋の宣教士たちと接触を持ち、キリスト教の多くの古典的な書物を収集しました。彼が集めたものは、まず聖書の注釈と解説書、そして歴代の有名な著者や偉大な教士たちによる信仰に関する書物でした。ここには初期のいわゆる教会の教父たちのものも含まれます。それから彼は、マルチン・ルター、ガイオン夫人、フェネロン神父、J・N・ダービー、そのほか多くの人々の書物を集めました。すべてこれらの人々の書物は、彼の収集の中にありました。第二に、彼は多くの霊的巨人たちの伝記を集めました。第三に、彼は教会歴史に関する多くの書物を集めました。これらの書物は、合わせて三千巻以上にもなります。彼は、これらの古典の書物から多大な助けを受け、多くの光を得ました。そして、これらの幅広い書物から選択し、参照して、それに彼の聖書の学びから得た光を加え、教会生活の実行に関して他の人々を導くことができるように、それらすべての豊富を一緒にまとめました。

教会生活を実行する

 初め、わたしたちの奉仕の仕方、集会の方法、福音を宣べ伝える実行の80パーセントは、十九世紀のブラザレンの方法によるものでした。一つの顕著な実例は、「小さき群れの詩歌」と呼ばれる詩歌の翻訳と編集です。その当時、ブラザレンは、地球のどこから見る月も一つの同じ月であるのと等しく、教会も地上で特別な名前を持つべきではないということを見ました。フィリピンであろうが、アメリカであろうが、月は一つだけです。この地上に多くの国がありますが、これは多くの月があるということにはなりません。やはり月は一つです。この月が台北にかかっている時、それは台北の月になります。それが日本にかかっている時、日本の月になります。今日、地上には何百何千という教会がありますが、宇宙的に教会はただ一つあるだけです。
 ニー兄弟は、わたしたちを導いた時、初めから、いかなる特別な名前も用いませんでした。一度特別な名が付けば、それはもう分裂です。今日、アッセンブリー教団、ルーテル教会、バプテスト派、長老派、これらはすべて種々の名で彼らの教会を呼びました。その結果、教会は実に細かく分裂しています。これはまるでホーリネス派の月、バプテスト派の月、長老派の月、ルーテル派の月があると言っているようなものです。これは全く真理をねじ曲げたものであり、わたしたちはこれに従うことはできません。わたしたちに特別な名はありませんが、召会の実行とその内容では、信仰による義認、聖霊のバプテスマ、バプテスマ、長老制度、按手、その他多くの項目があります。わたしたちはこれらすべて、わたしたちが持つべき項目を持ち合わせています。このゆえに他の人々はわたしたちに特定の名前を与えることができません。彼らは、わたしたちの詩歌、「小さき群れの詩歌」を見た時、わたしたちを「小さき群れ」と呼び始めました。このため、ニー兄弟は、わたしたちが「小さき群れ教会」ではないことを何度も繰り返して宣言しなければなりませんでした。この「小さき群れ」というのは、わたしたちの詩歌の名前にすぎず、それはわたしたちの名前ではありません。ルカによる福音書第十二章三十二節の「小さき群れ」は、クリスチャンがこの世にあって小さき群れである意味です。

実行の前進と推進

 わたしが主の回復にやって来たのは、このころでした。それは1933年か1934年でした。当初のわたしたちの実行は、ほとんどブラザレンの実行に即したものでした。しかし、1933年、ニー兄弟はブラザレンの間にある不適正な、聖書的でない状況に関して考慮し始めました。1934年、彼は「集会の生活」という本を出版しました。また1937年には、彼は「正常なキリスト者の教会生活」という別の本を出版しました。彼は、この二冊の本で多くの調整をしました。その時以来、わたしたちは次第に多くの新しい項目を回復し始めました。
 1984年までに、主の回復におけるわたしたちの実行、信仰、福音、教えを、わたしたちは地上の六大陸すべてに広めました。1962年以前、わたしたちの間での主の回復は、おもに中国語圏に限られていました。わたしが最善を尽くして英語による働きをするようにと導かれて、アメリカで働きを始めたのは1962年になってからのことです。最初の年が過ぎてから、わたしたちは「流れ」という英語の小冊子と、その他数冊の英語の書物を出版し始めました。最初の本は「すべてを含むキリスト」であり、次の本が「神の永遠のご計画」でした。
 十年目に、わたしはアメリカにおいて、ライフスタディの訓練を始めました。毎年、二回の訓練があります。一つは冬に、もう一つは夏に行なっています。十二年後、わたしたちは全新約聖書の学びを終えました。この訓練はわたしによって遂行されたものですが、まず本文とアウトライン付きフットノートを準備し、次に準備されたものに従ってメッセージを解き放しました。合計して、わたしたちはこれらの訓練を24回行ないました。この訓練は、毎回、30のメッセージから成り、十日間にわたるものでした。このようにして合わせると七百以上のメッセージとなりました。これらのメッセージは英語で与えられ、その他の言語にも翻訳され、出版されました。そして、これらの出版物を通して、主の回復は地球上の至る所に広がりました。1984年までに、地上の六大陸の至る所に、八百以上の教会ができました。今、わたしたちは、すべての大陸に主の回復の証しがあると言うことができます。(「キリストの豊富と豊満と主の今日のさらに進んだ回復」 第五章 日本福音書房) 

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